2017年10月8日(日) 日碌

2017年10月8日(日)の備忘録っぽい日碌

■特記すべきことはない。いつもの土日と変わらない。強いて言うなら土曜日が家人も休みだったということと娘が金曜日の夜から外出していていないということ、それと土曜日は朝になっても雨が止まなかったので朝のワンコの散歩がなかったことか。あとはいつもの土日と大して変わらない。
 僕が土日に何をしているかが知りたい人は、これまでの日碌を読んで下さい。それでたぶんほぼ把握できると思います。

 特に大したことが起こらなかった休日を「日碌」と称して書くことに最近今更ながらに疑問を持ち始めた次第。それに読まされる側にとってはあんなものなど何のメリットもないだろう。いや元よりメリットなど与えるつもりもない、ただのダラダラとした殴り書きだし個人的な備忘録なので、今後はもうここに載せる必要もなかろう。

 そういうことで今後は何をどう書くかわからなくなってきたので、今まで以上に期待しないようにしてください。

■これまでできるだけ政治のことは書かないようにしてきた。希望的なことが書けないからだ。そんな状況にあって、「希望の党」なんてものがいきなり登場し色んなメディアを賑わせている。
 民主党は蓮舫が党首を退き、止せばいいのにまた前原がしゃしゃり出てきたと思ったら、小池が「希望の党」を立ち上げるとなりふり構わずすり寄り、民進党議員を「希望の党」に合流させようとした。
 小池は民進党を取込み、自身も国政に復帰して安倍を辞めさすのかと思ったら、選別した民進党議員のみを取込み、更には自分は立候補しないと言い出した。
 小池に拒否された枝野をはじめとする民進党議員は「立憲民主党」を立ち上げた。
 
 何だか情けない。大の大人が、しかも国会議員をしていた人間たちが小池一人に振り回されている。自民党や公明党もそうだ。小池の一挙手一投足に戦々恐々で右往左往している。
 元々大義も何もない解散。疑惑を突かれるのが嫌で逃げたい一心でいきなり解散を決めたオッサンが何を言おうが白けるだけ。その厚顔無恥の顔を見ているとマジで吐き気をもよおしてくる。責めるつもりはないが、そんなオッサンが党首をしている自民党に票を入れるという人の気が知れない。そんなに自民党がいいのか? だからと言って旧民進党や希望の党がいいかと訊かれたら、やっぱり「アホかよ」と答えるが、ならば自民党へと言われると、それ以上に「アホかよ」と答えてしまう。
 自民党のどこか、そして何がいいのか?

 これは僕には「iphoneのどこが、何がいいのか?」という疑問と同じ性質のものだ。誰が言っているのか? どこかのメディアが勝手に言いふらしているだけじゃあないのかと思ってしまうのだが、アンドロイドを圧倒するようなスペックではない、いやむしろアンドロイドでは当たり前となっているスペックのものを殊更大袈裟に扱う風潮には辟易せざるを得ないのだ。もちろんiphone自体やiphoneを使って言う人たちを貶す気など毛頭ない。ただ、どうしてあそこまで騒ぐ必要があるのか、それが腑に落ちないのである。

 話が逸れた。政治のことに戻ろう。
 今回のことで絶対的に言えることがある。

 それは完全に国民が蚊帳の外であることだ。国民のためだの国家のためだのと奴らは言っているが自分たちのためにやっているとしか僕には見えない。

 はっきり言ってもう国会議員なんていなくていいよ。全員クビにしたらいい。大事なことはすべて国民投票で決めたらいいのだ。それで事足りるし、その方が断然公正だ。どうせ実際に国を動かしているのは官僚たちだ。そいつらをきちんとコントロールして本当の民意を反映させさえすれば政治家、いやこの国に政治家なんていなかった、奴らはみな「政治屋」だ、そんな政治屋なんて消えてなくなればいいのだ。

 僕がここでそんなことをほざいても、そうはならないだろう。いつの時代もずる賢い奴らが上手く立ち回って生き残る。

 今回の選挙は誰が一番ずる賢いか。

 ちなみに民進党の前党首のあの女の人、どうしているんだろうか。もう名前も出てこないね。まあ、どうでもいいけどね。

 とにかく現総理が表舞台から消えてくれたらいい。まずはそれを願う。

■先日、今年のノーベル文学賞受賞者が発表された。長崎市出身の日系イギリス人、カズオ・イシグロ氏だ。
 僕はこの人の作品を読んだことはないが、存在は知っていた。。2005年に「わたしを離さないで」(原題:Never Let Me Go」)が発売された際に話題になって、その時に名前を知ったのだけれど、その作品が日本でテレビドラマ化された数年前に、某放送局でこの作家さんを取り上げた番組が放送されたのだ。僕はその時非常に興味を持ってその番組を観、そしてカズオ・イシグロ氏の懐の深さを感じた。もちろんドラマも興味深く観続けた。
 だがカズオ・イシグロ氏という作家のことは、それ以上には取り上げられなかったし、増してやノーベル賞を取るような作家というような扱いもされなかった。日本ではどういうわけかノーベル文学賞と言えば毎年村上春樹ばかりが取り上げられていて、今年もやっぱりそうだった。
 ところが今年は蓋を開けてみれば元日本人であったカズオ・イシグロ氏が受賞した。そして翌日はもう出版関係は「カズオ・イシグロ」一色だ。読み手もそれまで見向きもしなかったくせに一夜明ければ、どの店もカズオ・イシグロ氏の本は品切れ状態。

 正直なところ僕は呆れた。

 日本人ってやっぱり超ミーハーだ。前日まで村上春樹がどうのこうのって騒いでいたくせに、「ノーベル文学賞」という言葉に踊らされて、前日まで「カズオ・イシグロ」のことなんてまるで知らなかった人が我も我もとカズオ・イシグロ氏の本を買い漁る。
「読みたいと思ったから買ったのだ。それの何が悪い」と言われそうだが、僕はどうにも違和感を覚えるのだ。
「読みたいと思ったから」ではなく「『読みたいと思った』と思わさせられているんじゃないか、そうやって踊らされているんじゃないか」と思えて仕方がないのだ。
 主体的に「読みたい」と思ってではなく、何かに踊らされてそう思い込まされているんじゃないかと思えてならないのだ。

 そもそもノーベル文学賞ってどう凄いのか? 他の賞と比べてどう違うのだ? 権威があるからか? じゃあ権威づけている所以は何か?

 カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞したことにケチをつけるつもりは毛頭ない。むしろ僕は祝福している。違和感を覚えるのは、それにかこつけて煽っている事象に対してだ。それとは明確に一線を引くべきと僕は考えている。でなければずる賢い奴らの思うつぼになる。だからそこは注意すべきと思うのだ。

 ちなみに村上春樹は今年もやっぱり受賞できなかった。
 僕は思う。村上春樹のことを貶すつもりは毛頭ない。それを踏まえて聞いて欲しいのだが、もう来年からは村上春樹が受賞するかどうかを話題にするのは止した方が良くはないか?
 候補と言われて既に久しいが、一向に受賞できていない。それは(何が基準かはよく知らないが)村上春樹のこれまでの実績なりがスウェーデン・アカデミーに評価されていないということではないのか。昨年なんかはボブ・ディランというミュージシャンに持っていかれたのだ。そして今年は前評判にも挙がっていなかったカズオ・イシグロが受賞した。
 村上春樹がスウェーデン・アカデミーに評価されるためには今以上の実績が必要になる。昔ならまだしも、今や村上春樹が本を出すと内容以前に話題の方が先行してしまうのが実情だと僕は思うのだけれど、そういった事情の下で今以上の評価を得るのは容易い事ではないだろう。それに毎年「受賞するのでは?」とこれまた話題ばかりが独り歩きする状況は本人様にとっては決して気持ちのいいことではないんじゃなかろうか。
 僕がもし村上春樹だったら、「もういい加減にそっとしておいてくれないか。その方が書くことにより集中できる」って思うような気がする。それに当の本人様は、世間やハルキストたちが騒いでいるほどノーベル賞ことなど意識していないんじゃなかろうか。

 これも結局誰かが世間を躍らせようとしているだけなんじゃないか、そしてやっぱり世間はいいように踊らされているんじゃないだろうかって僕は思うのだけれど……。

■相変わらずやっぱり訳の分からない夢を見続けている。一昨夜も昨夜も、やっぱり見てしまい、即ちうなされてしまった。だがもうここに載せるようなことはしない。
 理由は僕が見る訳のわからない夢のことなど誰も興味がないということに今更ながらに気が付いたからだ。

 遅いよね、気が付くのが。

 これからも書き留めておくつもりではあるが、それは単なる(別の)個人的なメモとしてだ。

■明日は朝に野暮用で実姉宅に行って義兄とちょっとした打合せを行う。その内容はここには公開しない。

 その後、家人と二人で家人の実家に行く予定だ。
 最初は家人だけで行き、僕は留守番をするということになっていたのだが、いつの間にか僕も行くことになってしまっていた。
 やっぱり僕はいつまで経っても周りに振り回される。
 死ぬまでに一度でも周りを僕の都合で振り回しまくってやりたいものだ。
 
 

2017年10月8日(日) 日碌” に対して 4 件のコメントがあります

  1. ちゅっぴ より:

    ハルキストが年に一度、集まってワイワイ楽しむためにノーベル文学賞って、あるんでしょ?
    村上さん自体は何とも思ってないと私も思います。でも、騒ぐな、勘弁してくれ、じゃなく、意外に「とれそうで取れない、でもやっぱり今年こそ取れそうな文学賞」をご本人も楽しんでいるような気もしないでもないです。

    「私を離さないで」のドラマ、確か去年でしたね。見てないけれど。
    この十月期放送のドラマだったら・・。先見の明あり過ぎだけど、もったいなかったなあ。

    1. イクタシバ イタル より:

      ちゅっぴさん こんばんは。
      コメントありがとうございます。

      >ハルキストが年に一度、集まってワイワイ楽しむためにノーベル文学賞って、あるんでしょ?
      >村上さん自体は何とも思ってないと私も思います。でも、騒ぐな、勘弁してくれ、じゃなく、意外に「とれそうで取れない、でもやっぱり今年こそ取れそうな文学賞」をご本人も楽しんでいるような気もしないでもないです。
      >

      好き勝手なことを書きましたが、よくよく考えてみたら、僕みたいな一介のトーシローが書くことではなかったですね。
      村上春樹さんのような大作家先生の気持ちが僕にわかるはずがないのです。
      身の程知らずでした。

      >「私を離さないで」のドラマ、確か去年でしたね。見てないけれど。
      >この十月期放送のドラマだったら・・。先見の明あり過ぎだけど、もったいなかったなあ。

      僕の場合は偶々観ていただけです。
      その時はカズオ・イシグロさんが翌年のノーベル賞を受賞するだなんて想像さえしていませんでした。
      ドラマを企画して作った人も、そこまで思ってなかったんじゃないかしら。
      まあ、勝手な想像ですけどね。

  2. 同世代 より:

    私はカズオ・イシグロ、原語で全部と言っても8冊しかないですけど、読んでいたのでとても嬉しかったです。彼はノーベル賞を取るために書いてるんじゃないと思うけど。冷静に考えれば、オスロの委員会と私の感覚がマッチしただけですよね。数年前から、「M氏の作品を全部読んでいないが、個人的にはイシグロの方が人類が読みつぐべきものと思うけど」と言ってました。

    今は新しい漱石全集、買って読んでます。

    人生まだまだなんで、ヒトカドの読み手になって、楽しみたいですね。

    1. イクタシバ イタル より:

      同世代さん こんばんは
      コメントありがとうございます。

      原語で読んでいるとはすごいですね。僕は原語どころか日本語訳さえ読んだことがありません。ドラマを観たのと、あの作家さんと読者とのディスカッション番組を観て、「ほほう」と感心したくらいです。原語で理解できるなら、日本語訳以上にその内容の深さに触れられるんじゃないでしょうか。僕には想像もつきませんが……。
      漱石全集を読まれているというのもすごいですね。僕は最近、書くことに対しても読むことに対しても気力が湧いてきません。どちらに対しても才能がないということを今更ながらに痛感しています。

よろしければコメントなどを……