第113話 「前略おふくろ様」のこと

■今年の4月から僕はあるドラマを週に一回観続けている。ドラマのタイトルは「前略おふくろ様」。「ショーケン」でお馴染みの萩原健一が主演の、1975年という今から42年前に放送されていたドラマだ。若い方々にはあまり馴染みがないと思うが40代あたりから僕ら50代の人間ならたいていの人が知っていると思う。
 僕がこのドラマを初めて観たのは確か高校生の頃でリアルタイムではない。おそらくこの後に続いた「前略おふくろ様2」の放送が終了してしばらく経った後に再放送されたものを僕は学校から帰った直後に必死で観ていたように記憶している。だがそれなのに内容をかなり忘れていた。今回必死に観続けているのだが、いかにその内容を忘れてしまっていたかを毎回痛感している。
 しかし内容を忘れてしまっていたがゆえに今再び観ると初めてこのドラマを観た当時と同じように楽しむことができる。何と言っても最近のドラマではほぼ感じることのない次回作へのワクワク感がある。第25回を観終えた今は「やっぱり分田上はもう永遠に閉店するのか?」、「サブちゃんは蔵王に帰ってしまうのか?」、「かすみちゃんとは本当に別れてしまうのか?」などなど薄らと残っている記憶に問い掛けつつ、毎回の展開に目が離せないでいる。
 そんな毎回観るのを楽しみにしているドラマなのだけれど残念ながら次がとうとう最終回だ。今年の4月半ばから週一ペースで観てきたこのドラマもいよいよフィナーレであり、終わってしまうことを考えると真面目に悲しくなってくる。

 僕をそんなふうに切なくするドラマなのだけれど、毎回観ていて思うことがある。

 サブこと片島三郎は山形から東京に出て、分田上(わけたがみ)という老舗料亭で三番板前として働く心の優しい若者だ。その若者が料亭の同僚や周辺の人たちと触れ合いながら折々の出来事に対する思いを、そして山形は蔵王のロッジの食堂で働く年老いた母親に対する思いを、「前略、おふくろ様……」という言葉に乗せて母親に聞かせるように語りながら物語は進んで行く。もちろん自分に言い聞かせるように語ることもある。主人公のサブ自身が語るその言葉に僕は打ちのめされることが多い。それは僕がすっかり忘れてしまっていた感情を代弁していることが多いからだ。脚本を書いた倉本聰ってやっぱり凄いと思うのだけれど、それ以上に萩原健一演ずるサブの純粋さに心を打たれてしまうのである。
 そんなサブちゃんなのだが、毎回いつも自分の周りで起こったこと、それに関係している人たちのこと、そして母親のことをばかりに翻弄され、悩み、成長しながら日々を過ごしている。その様を観ていて僕はやっぱり思ってしまうのだ。

 サブちゃんは仕事のことで悩むことってないのだろうか?
 確かに分田上に働く人たちとのことでとまどったり悩んだりはしているみたいだけれど、料理自体や料理の技術に悩んだりする様は観たことがない。
 例えば三番板前という立場であるから煮方・焼き方を主に担当しているけれど、もっと包丁を扱う仕事がしたくないのか?
 包丁さばきや料理自体がうまくなりたい、そのためにはどんな技術を身につけなければいけないとか、今以上に魚をうまくさばくには、どんな技術を磨かなきゃならんとか、どうすればあの料理が自分でもうまくできるかとか……。
 もし僕がサブちゃんだったらと思うと、これまでの自分のことを併せて考えるに、どうしてもそういったことが気になってしまう。まだ経験5年の板前で、しかも老舗の料亭であるからして、そういったことからは避けて通れないと思うのだけれど、ドラマにはそういった点はまったくと言っていいほど出てこない。極端なことを言うとサブちゃんが別の職業であってもこのドラマは成り立つのだ。

 例えばサブちゃんがIT技術者で毎日わけのわからない仕事に翻弄されていても、それはドラマの中の単なる一挙手一投足であり、その技術のことでサブちゃんが死にそうに悩んだとしても、ドラマの主題はそれとはまったく別のことであって、それを基軸に進むのである。

 おそらくドラマの主たる点が仕事のことではなくて、あくまでも取り巻く環境や人間たちとの関りであることだからだろう。仕事そのもののことを主眼にしてしまったら、おそらく乾いたドラマになってしまうのだろう。いやドラマにならないんだろう。

 だがせめてサブちゃんの部屋にテレビの一台くらいはあってもいいんじゃなかろうか? 時代は1975年という今から40年以上前の頃ではあるが、あの頃は既にどの家庭にも当たり前のようにカラーテレビがあった。一人暮らしでもそうだった。確かに今とは違ってまだ4畳半一間で風呂トイレは共同っていう安アパートが数多くあったが、それでもたいていの人はカラーテレビを所有していたと思う。老舗料亭の三番板前として働いていたサブちゃんの給料なら十分買えたのではないかと僕は思う。
 しかしこれまでにサブちゃんがテレビを観ているというシーンを観た記憶がない。いやサブちゃんだけでなく、秀次先輩も利夫も半妻さんもそうだ。記憶では唯一女将が自分の部屋にサブちゃんを呼んでマッサージをさせている際にテレビを観ているというシーンくらいしかない。そういう観点から考えると、このドラマも現実感が乏しいドラマなのかも知れない。

 しかしこれはこのドラマだけの話ではない。昔も今もそうだが、どのドラマも現実感がかなり薄い。それはどのドラマに関しても共通して言えることなのだけれど、生活感があまりに無さ過ぎるからだ。例えば前述したような普段誰でもやっているであろう「テレビを観る」というような場面なんて(ホームドラマであっても)滅多にお目にかからない。ましてや話の本筋とは関係のない「趣味」に、登場人物が没頭しているっていうような場面なんてものもまず出てこない。だから僕みたいなひねくれ者は、あまりに現実とかけ離れ過ぎだと文句を垂れるのである。
 しかしそうなるともはやドラマではなくノンフィクション番組のようになってしまって殺伐としたものになってしまうのだろう。そんな現実にいくらでも転がっている殺伐としたものを、敢えてドラマに取り込む必要はないということだ。でなければ視聴率も取れないだろうし。

 色々御託を並べてしまったが、要はドラマはドラマとして楽しめばいい、いや、楽しむしかないってことだ。小説だってそうだ。話題作やベストセラー小説に、我々が日常的に触れている現実に関するリアルな描写なんて滅多にない。現実に対してウンザリすることが多いから、だからドラマや小説の「現実から目を背けた」OR「虚飾された」世界が受け入れられる。そういうことだ。

 さてさて前述したとおり、悲しいことに「前略おふくろ様」は次回が最終回だ。虚飾の世界ではあるが僕はこのドラマがどんなエンディングを迎えるのか(昔観た際の記憶がとんと無くなっているからだろう)非常に楽しみである。
 だが最終回なら普通は終わってしまうということで、もっと悲しくなったりするのではないかと思われそうだが、(これも前述のとおり)続編として「前略おふくろ様2」というドラマがあるのである。もちろん僕は引き続き観る。だから今はまだそんなに悲しくなったりはしていないのである。

 ちなみに僕はこのドラマのテーマ曲がすごく好きだ。この曲を聴くと毎回切なくなってしまう。どうしてだろう、自分でも理由がまったくわからない。もしかしたら、ずっと昔にこの曲にまつわる何か切ない出来事があったのかも知れないが、今となってはもうまったく思い出せない。
 こうやって十代の頃の思い出が知らぬ間に自分の中から消えてしまっているのかと思うと、それもまた切ないものだ。
 
 
 
【2017年9月30日土曜日記す】

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