第106話 僕が中型二輪免許を取ろうと思ったワケ(1)

◆僕は社会人2年目の梅雨明け頃に中型自動二輪の免許を取得した。「中型自動二輪」と書くと若い人たちの中にはピンとこないという方もいらっしゃるだろう。今風に書くと「普通自動二輪免許」のことだ。(それが証拠に僕の免許証には「普自二」という項目がある。)
 僕がオートバイの免許を取ったのは大学生の時で、それは原動機付自転車、いわゆる「原チャリ」の免許だった。学生の間は、それで原チャリを乗り回していたのだけれど、就職活動を始める直前に普通自動車免許を取得した。実際に社会人になったら、たぶん車に乗ることが多くなるんだろうって勝手に思っていた。だからと言うわけではなかったのだけれど、僕はその後中古の軽自動車を超破格の値段で買った。
 きっと僕みたいな文系の人間は会社というものに入ったら営業をやらされるのだろう。そしてその際は車の運転が必須になるだろう。ペーパードライバーのままではだめだ。
 こんな考えが僕の頭に多少なりともあったのだ。もちろん軽であっても車を乗り回して遊びたいという願望があったのも事実だけれど……。
 だが、そんなふうに考えていたのは僕だけではなかった。友人の中には軽ではなくて、1500~1800ccクラスのセダンの中古車を買う奴も何人かいた。もちろんみんな大学生だ。しかも裕福というわけではない。僕もそうだったが、みんな車の維持費を稼ぐために(もちろんそれだけのためではなかったが)毎日夕方から夜遅くまでアルバイトをしていた。
 今では考えられないだろうが、当時は学生でも車を買う人間が多くいたのだ。学生の分際でも車を乗り回すということが、ある種のステータスとなっていた時代だったのである。

 そんなふうに、社会人になった時のためにという考えがあったのに、実際に社会人になってみると僕が思っていたとおりにはならなかった。
 僕はシステムエンジニアという職に就いた。この職業は車に乗って仕事をするということは皆無だ。ずっとコンピューター(正確にはディスプレイ)とにらめっこをするのが仕事なのだ。はっきり言って自動車の免許も必要ない。だから車を運転するのはプライベートな土日の、本当に限られた時間だけになったのだ。

 そんな生活なら車なんて持っていたって仕方がないじゃないか。そう思っていたのだが、次に僕の身に起こったことは関東の某都市へのいきなりの転勤だった。

 転勤の際、車は実家に置いたままにした。
 当時、隣の市に住んでいた実姉がたまに乗っていたが、ほとんど動かさないという状態になってしまった。
 売ろうかとも思ったが超破格の値段で買ったものだ。次に同じようなものが欲しくなっても、もうこの金額では買えない。
 そう思うともったいないと思えた。だから僕は某都市での生活が落ち着きを見せ始めた頃、車を転勤先の住居に移動した。

 実は転勤先での住居には、車一台くらいなら余裕で置けるくらいの土地があったのだ。そう聞くとたいそう立派なところに住んでいたのだなと思われそうだが、これがまたビックリするぐらいのボロ家だった。
 築30年はゆうに超えているだろう木造二階建ての2DKで、間取りは一階に6畳の台所と6畳の和室があり、二階には6畳の和室があった。
 ガスはプロパンガス。当時は「蛇口を捻ればお湯が出る」というのが当たり前になりつつある時代だったのだけれど、その家ではもちろん水しか出なかった。(非力な瞬間湯沸かし器があったからまだ良かったが……。)
 トイレは(当時はもう水洗が当たり前になっていた時代であったのに)汲み取り式のままで、これがまたメチャクチャ汚かった。
 風呂はあったが今と違ってお湯を沸かすタイプで、しかも当時においてもかなりの旧式のもの。シャワーもついていたが超非力な瞬間湯沸かし器のような簡易式のものだったから、お湯がチョロチョロと出るくらいの、ほとんど使い物にならないような代物だった。
 極めつけは所々の柱がシロアリに喰われていたことだ。特に風呂場が酷かった。ちょっと力を入れると簡単に折れてしまいそうな部分が少なくなかった。

 ここには僕一人ではなく会社の先輩と二人で住んでいた。もちろん好き好んで、そんな今にも崩壊しそうなボロい家に先輩と二人で住んでいたのではない。すべて当時勤めていた会社からの「命令」によるものだ。それに当時はまだワンルームマンションというものが流行る前だったこともあって賃貸物件が本当に少なかったのだ。他に住む所が見つからない以上、ここに住むしか選択肢がなかったのである。

 この頃の生活については、また機会があれば書こうと思うが、それは今は置いておき、僕はその家に車を移動した。中国自動車道~名神高速~東名高速を時々休憩を入れながら、約10時間ほど運転した。550ccの中古の軽自動車では、これが精一杯だった。

 しかし車を自分の手元に持ってきたとしても、車に対する状況は実家にいた時とさほど変わらないだろうと予想した。平日は毎日朝から夜遅くまで仕事をしていたものだから、家に戻るのはたいてい23時頃で、それから車に乗るなんてことは、よほどのことがない限りあり得ないだろう。更には土日の休みもどちらか一日は仕事の疲れを取るために家で過ごすことが多いのが実情だったから、車に乗るのは土日のどちらかのみで、しかも数時間くらいになるだろうと思った。
 それでも気分転換になるからいいんじゃないかと思っていた。それに会社の先輩と二人で住んでいたものの実質的には一人暮らしの形を取っていて、買い物なんかは自分でしなくてはならないから車があれば重宝するだろうとも思っていた。
 だけどこの僕の思惑は、やっぱり大いに外れた。

 当時僕が住んでいた某都市とは具体的な地名は書かないが、東京に隣接する県内にある超有名な大都市で、その家のすぐ近くを国道一号線が通っていた。更にはJR(当時は国鉄)東海道線や横須賀線といった鉄道路線も近くを通っていた。そのためだろう、(地形の問題もあったとは思うが)平日の朝夕のラッシュ時と土日の終日は周辺道路では異常なまでの渋滞が発生していたのだ。
 特に国道一号線上の踏切周辺にて発生する渋滞は壮絶なものだった。それは付近の道にも大きく波及し、どの道も身動きできないくらいの渋滞が発生していた。歩けば10分ほどで着く場所なのに車だと1時間経っても辿り着けないということが全然珍しくなかった。まだカーナビもVICSもない時代だ。裏道に精通している人間ならともかく、そうでないものは地図帳とにらめっこしながら、あの路地この路地へと入っていくのだが、それがまた違う種類の渋滞を呼び、事態を更に悪化させる。

 数ヶ月の間、僕はこの状況に何度も身を置いた。歩けば10分もかからないスーパーへ車で赴こうとしたところ、国道一号線の渋滞によって発生した付近道路の大渋滞に巻き込まれ、2時間近く経ってようやくスーパーにたどり着いたということも珍しくなかった。同期の同僚が住むマンションへ車で向かったところ、渋滞で結局たどり着けなかったこともあった。
 車に乗って気分をリフレッシュして日頃の鬱憤を晴らそうとしていたのに、車に乗ることで更に別のストレスを溜めることになってしまった。
 これはもう本末転倒と言わざるを得なかった。
 渋滞する車の列の横をオートバイが、スルリスルリと走り去っていく。そんな光景を僕はずっと見続けていたのである。

(次回「第107話 僕が中型二輪免許を取ろうと思ったワケ(2)」に続く)
 
 
 
【2017年7月6日木曜日記す】

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