第90話 雷舞

◆6月になったばかりのある夜のこと。テレビを観ていたら画面の上辺りに気象情報に関するテロップが流れた。何でも急に激しい雨が降ったり竜巻の類が発生する可能性があるから注意が必要だと訴えている。
 部屋に二つある窓は少々の蒸し暑さを感じていたものだから、いずれも開け放たれていた。そこに掛けられているレースのカーテンは微動だにしていない。本当に雨が降るのだろうか?

 そんなふうに思いつつもテレビを観ていたら、それから10分も経たぬうちに、そのレースのカーテンがふわりと浮き、僕の頬に外からの風を届けた。そして何やらテレビからの音声とは違う別の音がどこからか聞こえ始めていた。

「外がうるさくなってきたね」

 そばにいた家人がポツリとそう言った。でも僕はそれが何を意味するのかわからず、そして気にすることもせず、単に意味のない「ウン」というような空返事をした。

「けっこう鳴ってるみたい」

 そこで初めて、何のことだろうと思いつつ、僕はテレビのリモコンの「消音」ボタンを押した。

「急にそんなことやったって都合よく聞こえたりせぇへんて」

 家人にそう忠告されたが、そのままの状態で僕はじっと耳を澄ませた。すると30秒くらい経った頃、僕の耳に雷鳴が届いた。

 それからどれくらいの時間だっただろう、それは本当にあっという間だったと言っていい。風が突然と言っていいレベルで強くなり、「ポツポツ」という雨降りの音が聞こえ始めたかと思うと夜空全体が一瞬真っ白くなった。そして数秒後に凄まじい雷鳴が辺りに轟くと激しい雨が強い風に乗って右から左からやってきた。もちろん開け放っていた窓は即座に閉めた。

 そばにいたワンコは雷鳴に恐怖を感じたらしく、部屋の中を落ち着きなくウロウロし始めた。
 僕はそれがちょっと鬱陶しくなったから、ワンコに「伏せ!」と言って、その場で落ち着かせようとしたのだけれど、普段から落ち着きのないワンコにそれを求めても無理というものだった。

「二階(の窓)は大丈夫か?」

 僕は家人にそう訊いたのだけれど、訊いた瞬間に僕の体は二階に向かっていた。庇があって、よほどの強風が吹かない限り雨が吹き込んで来ない窓以外のあらゆる窓を僕は閉めた。

 一階に戻るとパニック気味になっていたワンコは家人の隣にくっついて横になっていた。こういう時、ワンコというものは(メスであるから余計にそうかも知れないのだが)優しい人間に寄り添うものらしい。

 そうやって、あと数分もすれば(突発的な雷雨だろうから)やむだろうと思っていたのだけど、雨はやむどころかますます勢いが増し、雷も「これからが本番」とでも言いたげな様相になってきた。こうなると二階の開けたままにした、庇のある窓のことが不安に思えてきた。家人も同じような不安にかられたようで、僕がそのことを口にする前に家人は二階へと上がっていった。そして5分くらいの間だっただろうか、家人は戻ってこなかった。

「(雨は)吹き込んでなかったけど閉めといた」

 二階から戻ってきた家人は僕にそう告げた。

「そやな。そうしといた方がええやろう」
「あっちこっちの空でピカピカ光ってたから、しばらく見入ってしまったわ」
「そんなに光ってんの?」
「うん、ほんまにピッカピカ光ってる」

 そう言われた僕には、さっきからずっと外の雷鳴が聞こえ続けていた。

 僕は二階の部屋に行き、庇のある部屋の窓を開けて、その桟に腰を落とした。もちろん部屋の灯りはつけずにだ。
 数秒もしないうちに東の空が真っ白く光った。途端に「ゴロゴロゴロッ!」という音が聞こえ始めたのだが、間髪入れずにすぐに今度は南の空に稲妻が走った。「バリバリバリッ!」という音には凄まじさがあった。するとまた東の空が真っ白く光って「ゴロゴロゴロッ!」という音が空に響くと、やっぱりすぐに南の空に幾筋もの稲光が上から下に向かって、木がその根を下に伸ばすかのように広がりつつ走った。当然ながらそれに似合った「バリバリバリバリバリッ!」という凄まじい音を従えてだ。

 そうやって東の空が光って雷鳴を轟かせると、それに呼応したかのように南の空が負けじと光って轟音を唸らせる。時に同時に光って空全体を真っ白くしたかと思うと、地上に届くんじゃないかと思えるほどの太い稲光を放ったりもした。僕はすぐ後に聞こえてくる「ドンッ!」という音に、どこかに(雷)が落ちたんじゃないかと、いくつもの家屋で遮られた、その先にある土地のことを思った。

 こんなふうに東の空と南の空による「雷の光と音」、そして「激しい雨と風」の共演は、30分以上続いた。こんなに長い間稲光が走り続け、かつ雷鳴が轟き続けている雨の光景を見たのが久しぶりのことだったからだろう、僕はその様を飽きることなくずっと眺め続けていた。
 生きている間にこのような様を見ることなんて滅多にないことなのだ。

 僕には今目の前で起こっていることが、まるで風神様と雷神様が共演しているように思えた。「これこそまさしく『雷舞(ライブ)』じゃないか!」って思えたのだ。
 古の人が雷を神の類と捉えた気持ちも、この様を見ればよくわかる。今の僕たちは既に持っている科学的な知識でその正体を知っていて、かつ天気予報という情報により、それがやがて収まるものであることが事前にわかっている。日常においてそれを考えると何だかつまらなく思えてしまうのだけれど、その様を目の当たりにすると、実は今の僕たちも古の人たちと変わりがないように思える。
 どれほどたくさんの情報を持っているとしても、またどれだけ強固なものの中にいるとしても、激しい風雨と稲光を目の当たりにし、その凄まじい雷鳴が耳に届くと、僕たちはやはりそこに畏怖を感じずにはいられない。
 いつの時代も人間は、所詮は自然には勝てない。自然に許されながら共存する、いや、共存させてもらわねばならない。それを実感した「雷舞」だった。
 
 
 
【2017年6月15日木曜日記す】

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