第89話 杞憂か? プログラミング教育

◆先月末頃だったと記憶しているが、新聞にプログラミング教育に関する記事があった。何でも2020年に「プログラミング教育」なるものが小学校で必修化されるそうだ。記事には「これを前に、小学生がプログラミングに親しむ場が急速に広がっている」と書き添えられ、更には小学生たちがプログラミングをしてロボットを動かしたりゲーム製作をしている等の写真が何枚か載せられていた。写真に写っている小学生たちの顔は、どの子も笑顔だ。

 この子たちの気持ちは僕にもよくわかる。僕も同じような経験をしたからだ。
 とは言え僕が経験したのは小学生の頃ではない。そんな頃に身近にコンピューターなんて、その欠片もなかったし、コンピューターという概念さえなかった。

 僕が初めてプログラミングというものに出会ったのは大学生の頃だ。その頃になってもまだ今のような高性能かつ安価なパーソナルコンピューターなんてものは存在していなかった。もちろん大型コンピューターは存在していたが、関係者しか知らないような場所に置かれて社会の中で誰に意識されることもなく動いていたというような時代だ。一般の人間が触ることができるコンピューターと言えば高機能電卓に組み込まれたベーシック言語で動く「ポケットコンピューター」という類のもの、もしくはMSXという、おもちゃをちょっと高級にしたようなものが関の山だった。(富士通やNECがパーソナルコンピューターの走りのような製品を販売してはいたが、当時それらはウン十万円もする、趣味程度の意識では到底買えない、マニアもしくは今で言うところの「オタク」が使うといった代物だった。)

 当時僕は文系の大学生で、そんな学生がいくら大学に通っていたとしても、理工系の学生ならいざ知らず、コンピューターというものに関わる機会なんて普通はまず存在しなかった。それに僕自身、コンピューターの存在は知っていたものの、そんなものに興味なんてまったくと言っていいほどなかったし、プログラミングというものの存在や概念なんてものも僕にとっては「無」そのものだった。
 ところが大学というところは本当に色々な人間が集まる。僕が入学した大学は総合大学だったから尚更だ。僕のような文系そのものという人間がいれば、数字にガチガチの理系人間もいる。普通なら異分野の学問を専攻する人間同士が簡単に交わる機会は少ない。しかし大学というところは実に面白い所だ。そういった垣根を超えた、いや元々垣根なんか存在しないのだろう、そういった自由な空間、場所が至る所にあって、異分野の学問を専攻する人間たちが簡単に交わるのである。そして、そこから色々なタイプの学生へと変貌していったりもするから尚更面白い。

 例えば構造力学を学んでいた理系学生が、いつの間にかその片時に文学のことを真剣に考えるようになったり……。
 はたまた、心理学の実証実験例に人心の動向を学んでいた文系学生が、いつの間にかポケットコンピューターのプログラミングに、その論理的難性を感じるようになっていたり……。

 実を言うと後者は僕だ。そして前者は僕が当時所属していたサークルの先輩で工学部の学生である。
 専攻する学問も学ぶ校舎も違った二人が、それぞれが学ぶ学問とはあまり関係のない場で出会い、それぞれがそれぞれの異文化の世界に出会う。先輩が文学に興味を持ったのは僕が勧めた小説がきっかけだ。そして僕がポケットコンピューターのプログラミングに興味を持ち始めたのは、まさしくこの先輩が持っていたポケットコンピューターでゲームをしたのがきっかけなのだ。

 僕はその機会が元となり、後日MSXという、確か当時数万円程度の廉価で販売されていたコンピューターでの実際のプログラミングを体験することになる。
 これは僕が自分で買ったものではない。たまたま父親が勤め先で流行っていた「小集団活動」なるものの一環(「コンピューターに触れよう」だか何だか忘れたが、とにかくそんなふうな目的だったように聞いた記憶がある……)で買ったものだったのだけれど、結局父親はまったく手を付けず、もったいないからということで僕が前述のポケットコンピューターの件もあって、興味本位で触り始めたのだ。

 初めてプログラミングしたものを動かし、それが当時(ディスプレイとして)繋げていたテレビに映し出された時、僕は驚き、そして喜んだ。自分の意思をプログラム化し、それを実行すれば、本当にその通りに動くのだ。何て面白いのだろうと、その時は素直にそう思った。おそらく前述した小学生たちも、その時の僕と同じようなことを感じたに違いあるまい。いや彼らは小学生であるから、きっと僕以上に純粋に、その面白さを感じ取っているだろう。

 僕は、この経験があったからだろう、その後、就職先にIT企業を選んだ。そして卒業してからはひたすらIT業界の仕事をすることになる。

 前述したとおり、この度新聞にて2020年から小学校で「プログラミング教育」が必修化されると知った。今の世の中がほぼコンピューターという類のものの上で動いているという現実を考えれば、今後の社会を担う子供たちには、それは必要なものなのであろう。それに実際に新聞に載っている写真に写っている子供たちの顔を見るに、皆楽しそうな表情を浮かべているから、まんざら悪い事でもない。
 しかし片や、小学生時分からこんなことを教えこまなければならないのかと思うと、おせっかいながら僕は小学生たちの未来を憂いてしまうのだ。

 プログラミングは確かに面白い。益々発展しているコンピューターだから、技術が発展すればするほど目に見えるものもどんどん刺激的になる。
 例えば現代なら低年齢の時点でVRにも触れるだろう。ましてや「プログラミング教育」にその要素が入っていれば、現代の子供ならたいていの場合皆飛びつくだろう。そしてかつての僕がそうであったように、それがきっかけで将来はプログラマーになろう、ITの仕事をしよう、と思う子供たちもたくさん出てくるだろう。それだけを考えると何と夢のある教育かと思ってしまう。

 では僕は今までITの仕事をしてきて、とても夢のある仕事人生を送ることができたか?

 答えは「NO」だ。

 ITの仕事は現実には、あの頃MSXでプログラミングしていた際に想像していたものとは違っていた。ゲーム業界に入っていればまだ近かったかも知れないが、普通のIT企業だと(僕が思い描いていたような)夢と現実はまったく違うと言っていい。それは地味でキツい長時間労働だ。論理的思考が必要とされる以上に、実は数字にも長けていなければならない。なぜならゲーム業界ならいざ知らず、普通のIT企業に入ってコンピューターシステムの開発をする(つまりプログラムを作る)ということは、ほぼ顧客企業の基幹業務を行うプログラムを作るということであり、一例を挙げれば何かしらの数字を仕様にて決められた複雑な計算をして帳票なりを印刷するという地味なものなのだ。派手なキャラクターが画面に現れて敵をやっつけたり、ロボットが出てきてサッカーをするなんて類のものでは決してない。

 あの小学生たちは「プログラミング教育」という名の下、ロボットがサッカーをするプログラムを学んだり恐竜が動くゲームを作ったりするのだろう。その中には将来はITの世界に入ってこんなプログラムを作ろうと思う子供たちがたくさん現れるだろう。そしてその中の何人かは実際にITの世界に向かうだろう。だがほとんどが幼い頃に描いた夢と現実のギャップを突きつけられて、「嘘だろ!」と呟くことになるのではないか。

 僕は自分の経験から、そういう危惧を抱いている。

 だから思う。単なる「プログラミング教育」だけでなく、実社会におけるITの実情や実際にどのような仕事をするのかを義務教育期間中である中学生の頃にきちんと伝えるべきだと。(これは他の教育と職業の関係性に対しても言えることだと思うのだが)社会に出ていく前にきちんと夢と現実の違いを教えておくべきだと。
 でなければ自分と仕事との悲しいミスマッチを増やし続けるだけだ。しかも小学生という時分から誤った道を進んでしまうことになりかねない。

 杞憂だろうか?
 
 
 
【2017年6月14日水曜日記す】

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